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商 号 |
株式会社
福山ゴルフ |
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営業内容 |
ゴルフクラブ製作、販売 |
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沿 革 |
・昭和36年7月創業
・昭和45年11月(有)福山ゴルフ製作所設立
・平成4年4月(株)福山ゴルフに組織、商号変更 |
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代表取締役社長 |
橋本征侍 |
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本社・工場 |
720-0825 広島県福山市沖野上町5-7-18 |
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TEL
/ FAX |
084-921-2939
/ 084-921-2940 |
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昭和12年(1937年)縁戚に当たる当時日本アマチャンピオンであり、ゴルフコース設計家 故佐藤儀一氏の勧めでゴルフクラブの製作に携わる。
当時、佐藤氏はアメリカに留学し、ゴルフ場の設計とゴルフプレーを学び帰国し戦前(世界大戦)戦後を通じ、アーサー・G・SATOの名で広野ゴルフ倶楽部(兵庫県)においてクラブチャンピオンとして君臨し、ゴルフ場のクラブ内にその名は何行にも刻まれている。アーサーとは、氏がサンフランシスコ選手権において日本人として初めて優勝し、その当時氏の栄誉を称えつけられた名前と推測される。
当時ゴルフクラブの製作者は少なく皆無であったと思われるのですが、大阪茨木に故宮本留吉プロが一人ゴルフ場の片隅で作っておられたとのこと。前出の佐藤氏の紹介で宮本氏の工房に足を運び遠慮がちに氏の作業を垣間見させて頂きクラブの構造や製作を学ぶ。
当時宮本氏は弟子を取らずただひたすらトム・ミヤモトモデルのウッドヘッド(今では伝説的なゲンコツ型ヘッド)を製作しておられ、若干17歳の少年にとっては気難しい職人として映ったとのこと。今も時々そのような話を雑誌社の人達や友人に懐かしそうに昔話として会長は口にする。
そのように何回か宮本氏の所へ足を運び、同時に佐藤氏から新品の舶来クラブを渡されそれを分解して内部の構造を研究したことなども聞かされます。
また当時国内にはクラブを製作する法人はなく佐藤儀一氏とその仲間による合同出資会社が日本で初めて法人化されたゴルフ製作会社であった。会長橋本はその会社の職人として働いていたのであった。(又、会長自身も宮本プロ同様、職人気質を拭い切れない一人でもあります。)
その後第二次世界大戦後も佐藤氏のもとでクラブ製作に携わり、昭和36年郷里広島県福山市に戻り、地域の方々の一人一人にあったオーダーメイドクラブを主に造り続け今日に至る。
初めてゴルフクラブを目にして以来、2004年現在に至るまでなんと60数年の月日が流れ、日本のゴルフクラブ製作の歩み、ゴルフ界の歩みを会長橋本は現在唯一目にしてきた一人であります。
会長の製作したクラブは広野ゴルフ倶楽部内にある日本ゴルフ協会のゴルフミュージアムの中に故佐藤氏愛用のクラブとしてカマボコ型パターが展示されております。 |
| 橋本征侍 |
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